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■バロック
この時代は、芸術ではルネッサンス芸術の爛熟期にあり、歴史上ではイスパニアの凋落と、これにかわるオランダ、イギリス、フランスの世界的覇権争いがあげられます。17世紀前半、繁栄の頂点にあったオランダのフランドル地方の有産階級の服装は、いたるところで模倣されましたが、特にフランスには大きな影響をあたえていました。髪は褐色が流行しましたので、婦人たちは粉をふりかけて染め、その髪をいかすために帽子とよばれるものはあまり用いられず、薄いシルクゴースやローン、レースなどのダッチコイフ(Dutchcoif)やハンカチーフスタイル、あるいはフードといった簡単なものを多くかぶりました。

また、後頭部に嘗を結んでそのまわりをリボンやパール、羽根を飾ったウインドーコイフスタイルがあります。男子帽で目立ったものに、ピューリタンハットと、騎士の用いた赤や青のオーストリッチの羽根のついたフェルト帽や、ビーバー製の帽子があります。ピューリタンハットは、清教徒がかぶったハイクラウンにつばのついた黒い帽子です。

クラウンにはシルクリボンが巻かれ、前に銀のバックルがつけられ、この型を応用した。婦人帽も当時わずかにみられます。

そしていよいよ17世紀も後半、バロックの中心といわれるルイ十四世時代をむかえるのです。ルイ十四世は芸術をおおいに奨励し、建築、工芸、美術、モードにいたるまでその普及に力を注ぎました。「モードはフランスから」の観念がうまれたのは、実にこの時に始まるのです。

服装でまず挙げなければならないのは、男性の大きなかつらと婦人のフォンタンジユです。これらは華斗天と気品を求めたこの時代を最も特徴づけています。かつらは、初め自然の髪の毛が不足する場合に人毛で補っていたものが、次第に移りかわり、1670年以降最も大きく豪蒼なものになりました。男子の礼装用の帽子はコックドハット(cockedhat)またはトリコーン(tricorn)とよばれるフェルト製またはビーバー製の帽子です。これはこの世紀前半に用いられていた、ブリムが軽く巻いただけであった帽子の三方が折れ上ってきたものです。ブリムの先に羽根飾りや金のレース、金のプレードを飾ったこの大きな帽子は、貴族たちの栄誉を遺憾なく発揮したことでしょう

その他に狩猟や乗馬のための略装用のモンテローキャップ、室内でかつらをぬいだ時かぶるレースのナイトキャップ、メリヤス製のウール地で作ったモンムースキャップなどがあります。

婦人のための帽子、これはほとんどみられず、そのかわり実にさまざまなヘアースタイルがありましたが、有名なのは1665年にあらわれたフォンタンジユ(fontange)です。髪を針金で高く結い、糊入れしてオルガンパイプのようにたたんだレースやリネンを、後頭部の小さなキャップに取りつけた丈の高いこのヘアースタイルは、男子の大きなかつらとのバランスをうまくとり、その丈はしばしば顔の二倍にも達することがあったということです。

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