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日本の帽子博物館(4)

■日本の帽子博物館(4)
世界一の帽子デザイナー、パリのジガーバル来日。 新しい高級婦人帽作りの技術を公表する。
これを機に、婦人帽子の技術も向上して、 欧米にも追いついてくる。
(昭和40年)
ヘアピースの大流行で、一時増えてきた婦人帽子は やや不振となる。それにかわって、ヴェールやネットなどの 頭かぶりが増える。ヴェールや布地のスカーフに代わる 頭かぶり的なものが若い人に好まれる。
(昭和40年ごろ)
オップアート流行
帽子にも四角いものが出る。ポリプロピレンの折りたためる、レジャーハットなど、新しい化学繊維が帽子素材として、色々開発されてくる。
(昭和41年)
日本婦人帽子協会では、1968年のニューラインを発表、フラッシイ・ルックと名づけた。
フラッシイとは一瞬、閃光的なという意味で、見た瞬間、何かのひらめきを感じさせる帽子。
フォルムの特徴は、1930年代のモードを 現代風にアレンジしたもので、型もホットタイプ (レジャーを中心に街着の帽子にまで発展させる)と クールタイプ(タウンからアフタヌーンまで利用)に 分けられ原型からバリエーションまで、64点発表された。
(昭和43年)

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