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私たちが帽子の歴史を調べようとする時、世界史、特に西洋史との関連なくして考えることはできません。つまりモードはヨーロッパ諸国においてはその国の風土、国民性、気候、時勢、精神文化、生活様式、芸術などと総合され融合して、その時代の社会情勢にきわめて敏感に反応しつつ移り変っています。
その流行の多くは、十九世紀に入るまでは指導的立場にある上流階級の人々によって定められ、しかもぬきん出た国において創りだされたものがそれぞれの国の間でたがいに影響しあい、進展するにつれて移動していきました。そしてその中で帽子はいつもドレスと一体となってあらわれています。時代背景とドレスを切り離して単独で帽子を知ることはむずかしいのです。
帽子の実物は、十六、七世紀にいたるまでヨーロッパにおいても特珠のものを除いては保存されていない状態ですが、墳墓の壁画や彫刻、あるいは絵画などにより推測できます。
帽子は原始時代、すでにあらわれていたといわれています。はじめは日光の直射を避ける、寒さを防ぐ、頭部を守ったり髪の乱れを防ぐという実用的な理由であったものが、集団で生活するようになると、自分をより美しく見せようとする気持も出ていろいろ考案され、次第に複雑な豪華なものへと発展して、やがては身分や階級を示すようにもなりました。
それでは時代別にそのポイントを抜粋してみましょう。 |
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