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日本の帽子博物館(1)
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■日本の帽子博物館(2)
昭和7年夏、カンカン帽大流行。
浅草の香具師の頭にもカンカン帽がみられる。
昭和3年2月20日、第一回普通選挙の開票を見んものと、朝日新聞社の掲示板前は、シャッポの波で埋まった。
政友会219名、民政党217、無産諸派8、その他2。田中内閣への批判もすでにあらわれていたといえる。
いまは都電も斜陽化して撤去問題がやかましいが、戦前は?都民の足?として重要だった。
これは昭和12年の東京市電停留所の案内嬢。
「銀ブラ」のモガ
昭和3年、デパートの高島屋で、人形にまじってマネキンが初登場、ファッションモデルと売場宣伝員を兼ねる形になった。
このマネキンのかっこうが、いわゆるモガ(モダンガール)、モボ(モダンボーイ)のはしりである。
カフェーにいって女給を口説くこともできない善良な小市民は、休日ともなれば家庭サービスを強いられた。
上野動物園内の木陰で、中折帽をぬいで汗をふくひまもなく、パパはけんめいにサービスに献身していた。
(昭和6年4月)
戦時中の七五三
防空服に身を固めた姉弟。
三越のファッション・ショーが、女らしい?見るためのドレス?を見せる。それまでは、一般女性は実用的なものにしか手がとどかなかった。
一部アメリカ軍とつながりのある婦人にしか、おしゃれが考えられなかったのだが、このころより、一般女性もおしゃれが身に ついてくる。 婦人帽子はぼつぼつ関心がもたれる程度である。
(昭和27年)

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